歴史を振り返る

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

あややさんがこんなお題を出して下さった。

何を隠そうあややさんのブログの読者になるためにはてなブログに登録したこのわたくし。
いつも楽しませて頂いている身なれば、微力ながらここで一肌脱がないわけにはいかない。

随分長くなってしまったし若干テーマがずれてしまった気もするが、今年掲げた目標もあることだし思うままに書いてみた。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

私にとってジャニーズの特別は3つある。
きっかけなら最初の1つで充分なのかも知れないし、単位がなんだかおかしいのだがとにかく3つなんである。


年代が分かってしまうのが恥ずかしいが、私のジャニーズ歴の始まりはかの「たのきんトリオ」である。

小学生だった当時、「3年B組金八先生」をリアルタイムで観たことは実はなかった。
強大なチャンネル権を持つ親のお気に召さなかったようで、あれを観るなら「中学生日記」の方がずっとよいと後に語っていた。
故にたのきんの存在自体を知らず、同級生に「3人のうち誰が好き?」と訪ねられても首を傾げるしかなかった。
彼女が「えっ…!知らないの?」と目を見開いて呆れたように後ずさっていったのを今でも鮮明に覚えている。

きちんと認識したのはマッチがレコードデビューした頃。
歌もお芝居も上手いとは言えず、トシちゃんみたいな華麗なダンスもしなかったが一番好きなのはマッチだった。
毎週テレビ番組を楽しみにラジオで新曲をチェックし、明星や今は亡き平凡の歌本で歌詞を確認。
学習机に切り抜きを貼って眺めていた。
母親に頼んでたのきん映画を観に連れて行ってもらったり、少ないお小遣いをはたいてレコードを買って聴いたりしていた。
初めて買ったレコードは「ヨコハマ・チーク」。B面は「嘆きのリンダ」だった。

所謂「茶の間」で、コンサートに行くなんて考えもしなかった。
ジャニーズ事務所は単なる所属事務所として覚えていただけで特段思い入れはなかった。
              
大人になるにつれ次第に興味の対象が他へと移り、自然消滅的に卒業。
特に決定的な何かがあったわけではなかったのでテレビに映れば「あ、マッチだ」と喜んだりはしていた。
だが光GENJI以降のジャニーズグループについては全く目を向けることがなかった。
別に下らないとか思っていたわけではない。
単に興味が湧かなかっただけである。
結婚・出産・子育てでそれどころではなかっただけかも知れない。


そんな私が再びジャニーズの洗礼を受けたのは1994年のこと。

ドラマ「高校教師」を観ていたこともあり、野島伸司脚本の「人間・失格」には興味があった。
だが副題の「たとえばぼくが死んだら」という言葉にに何ともいえない抵抗を感じてしまって観る気になれなかった。
それでも気になって途中からではあったが観てしまった。
するとそこに「彼」がいたのだった。

とても綺麗な男の子だった。
とても哀しい息子を演じていた。
ドラマ自体は息子(演:剛)を亡くした父親の復讐劇で、赤井さんの鬼気迫る演技が素晴らしかったのだが、私は堂本光一演じる影山留加という哀しい少年がどうなるのか気になってしょうがなかった。

当時ジャニーズの知識はほとんどなく、堂本姓の2人がジャニーズJr.だとは知らなかった。
エンドロールを見れば気づきそうなものだが、それくらい芸能事情を分かっていなかったのだ。
そもそもジャニーズJr.があんな風にテレビに出ているなんて思いもしなかった。

ドラマが終わりテレビ番組で見る機会が増えていくにつれなんとなく認識していったのだが、ドラマとは違う、ジャニーズアイドルとしての姿を見ても彼はとても魅力的だった。
相方である剛も面白くて可愛らしく、きちんとKinKi Kids2人を楽しんで見ていたのだが、目当てにしていたのは間違いなく光ちゃんだった。

そして待ちに待ったCDデビュー。
デビューを待ってCDを購入したのはKinKi Kidsが初めてだった。
何度も何度もリピートして聴いた。

番組を全てチェックしていたわけではないし、シングルやDVDは買わないものが多かったがアルバムだけは全て買っていた。
しかし、やはりコンサートに行こうとは考えなかった。
行きたくなかったと言えば真っ赤な嘘になる。
特に光ちゃんのソロコンについてはDVDを観ながら「なんでここに自分がいないんだろう」と思っていた。

家族の手前もあり、いい歳をした大人が年下のアイドルにのめり込んではいけないと無意識にあるいは意識的にセーブしていたのだろう。
緩い茶の間生活は2年前に娘が「Endless SHOCK」のチケットを取ってくれるまで続く。


そして嵐である。

古参の方々には好かれないことが多いようだが、所謂「花男落ち」になる。
デビュー前から知っていたのはニノだけだった。
ニノのことは昔から好きだった。
櫻井くんと松潤はドラマ等で認知していたが、大野くんと相葉氏は名前も顔も分からなかった。

原作ファンだったこともあり、花男井上真央目当てにファーストシーズンから観ていた。
金田一でいい印象を持てなかった松潤のことは正直あまり好きではなかった。映画館で花男ファイナルのアクションを見て初めて「意外とかっこいい」と思ったくらいだ。

この頃は人生最大と言えるほどのダメージを喰らっていた時期で、10年近くライブに通っていたミュージシャンの曲も何も聴けないくらいだった。
そこにするっと入ってきたのが嵐だった。
若くて明るい、押しつけのない心地よさがあった。
1.stから順に週に1枚ずつアルバムを聴いて曲を覚えていった。
娘と一緒にコンサートのDVDを観て「アイドルって優しいんだな」と思った。

幸いなことにコンサートにも何度か行くことができた。
アイドルのコンサートに参加したのは嵐が初めてだった。
自分の年齢に引け目を感じていたのだが、老若男女様々な方々がいらして少しホッとした。
コンサートはとにかく楽しかった。
「やっぱりアイドルは優しい」と改めて思った。

キラキラしていながらほっこり暖かい気持ちにさせてくれる彼らが大好きである。



私にとってのジャニーズの特別3つ。

近藤真彦
初めて触れたジャニーズアイドル。

堂本光一
自担と呼べる存在は彼をおいて他にない。

「嵐」
心を慰め、高かったハードルを下げてくれた。


ファン歴についてはいろいろな意見があるであろうし、もっと昔から注目していればとか、もう少し若かったらと思うことも少なからずある。
だが私は自分にとって人生の一番いいタイミングで彼らに出逢ったのだと信じている。



今回こうしてひとつひとつ思い返す作業はとても楽しかった。
文章に書き出していくのは難しかったけれど。
一生懸命削ったつもりなのにどんどん長くなってしまった。
皆さん本当にスゴいわ。

あややさん、素敵な機会をありがとうございました。